前日は7時間過ぎに自宅を出て辻堂から輪行。パッキングはわりとうまくいった。小田原から新幹線に乗り換え。最後尾の指定席を確保した甲斐あって輪行袋を置けてほっとひと息。車中では長篇Aの第二章を二まで。名古屋で快速みえに乗り換えて桑名まで。駅前のホテルに自転車とトライバッグを預ける。正月に家族で泊まったホテルだから勝手はわかっている。養老鉄道で駒野駅へ、海津市のコミュニティバスで受付会場の長良川サービスセンターへ。これも下見をしてあるからスムーズ。受付を済ませてから、スイム会場とトランジションなどを視察。次のコミュニティバスが遅いので、明日の帰路の視察も兼ねて石津駅までゆっくり走る。長袖の重ね着だといかにも暑いし、駅までかなり遠い。残り2キロくらいのところをへろへろ走っていると、行きのコミュニティバスが回送で通りかかり、親切にも駅まで乗って行きなと声をかけてくれた。桑名の乗り換えのチェックをし、コンビニで買い出しをしてからホテルにチェックイン。バイクを組み立て、ステッカーなどを貼る。一日目は順調にスケジュールをこなすことができた。
いよいよ初ミドル当日。4時20分起床だが、これだけ寝れば大丈夫。ホテルを出てバイクシューズに履き替えようとしたときに大失策に気づく。トライバッグを客室に忘れてしまったのだ。幸い、スタッフがすぐ出てくれて、スペアのカードを渡してくれたから事なきを得た。このホテルは正月も娘が忘れ物をしてスペアカードを出してもらった。ここから会場の長良川サービスセンターまで自走。トライバッグがいま一つ安定しなかったが、わりとスムーズに進んで到着。6時過ぎにトランジションのセッティングを済ませてサービスセンターの控え室に。7時前からスイムの準備。水温はそんなに低そうではないが、念のためにホットクリームを塗り、スイムキャップを二枚重ねに。7時15分から競技説明、そのあと試泳に移る。水温は21℃でまったく問題がなかった。淡水を泳ぐのは迷泳してスイム最下位だったうつくしまトライアスロン以来だが、海みたいに浮かないので勝手が違う。多少荒れても浮力があるほうがいいなあ。ゴーグルは新レンズを投入したのだが、試泳では曇りがち。スイムコースには500mのロープが張られている。上流へ行って戻る1000mを2周回。グループ分けは3つで、2分おきにスタート。私は例によって年寄り&女性の組。立ち泳ぎをして待っているのはかったるいから、うんとうしろからゆっくりスタート地点へ移動していたら、いきなりスタートの合図が響く。凡ミスでなんと最後方からのスタートになってしまった。前を追おうと思ったが、ゴーグルが曇る。海なら立ち泳ぎで直すのだが、浮力がないから我慢してレスキューボートなどを目印に泳ぐ。最初の500mに時間がかかってしまったが、折り返すといくらか流れがあるようで水に乗れるようになった。前の組の平泳ぎ泳者などを少しずつかわせるようになる。これなら完泳はできそうだ。時計はしないのでタイムはわからないが、見るとうしろに何人かいた。2周目はポンツーンから入水するのだが、姿勢が悪かったのか腰に衝撃が走る。泳いでみるとまあ大丈夫そうだったのだが、これが最初の伏線になったように思われる。ゴーグルは嘘のようにクリアになったので、1周目よりは調子よく泳げた。しかし、川は浮力がないし面白くもないからあまり泳ぎたくはないかも。スイム2キロを終えてトランジション。バイクはあまり残っていない。日焼け止めを塗ったり、いろいろやるつもりだったのだが、「まだトランジションで作業している選手もいますが、おおむねバイクコースに出たようです」とMCの声が響いたので、焦ってバイクグローブも装着せずにスタート。バイク80キロは13.3キロを6周回。まったくフラットだが日陰がいっさいなく、だんだん気温が上がってハードな条件に。2周目にふとサイコンを見ると、平均時速が26.5キロになっている。気を良くして上げたところ26.7キロになった。3時間を切るペースだが、もちろんあとは落ちる一方だった。2周目にトイレに寄り、マグオンジェルを摂取。ドリンクボトルの1本目はOS1+アミノダイレクト、2本目は大会のボトルの水で、これは本部付近で新しいものと取り換えてくれる。徐行しながらうまく取れたが、ホルダーにうまく入らずゆっくり走っていたら注意される。水で後頭部を冷やしながらではないとつらいコンディションで、サプリも少なすぎたかもしれない。前半は面白いように抜かれていく。脚力もさることながら、総額30万のバイクで2〜5倍の高額バイクには太刀打ちできない。いままではオリンピックディスタンスばかりだったから、バイクは40キロ。今回はその倍の距離を走らなければならない。ODのバイクでも腰が痛くなることがあるくらいだから、ホテルで湿布して臨んだのだが、やはり怪しくなってきた。4〜5周目は徐々に失速。トップチューブのバッグには亡き愛猫のリコッタ王子の写真を入れ、いつも話をしながら一緒に戦っているのだが、「リコッタ力貸せ」とかだんだん泣き言が増えてくる。平均時速は徐々に下がり、6周目の終了間際にはついに25.0キロに。まあしかし、初めから目標はこの数値だったのだから、私としては上出来だったかもしれない。
苦手二種目をしのいで、いよいよ得意のラン。ランに入る時点で制限時間まで3時間07分くらいあったから、これは楽勝だとそのときは思っていた。ランのコースは2キロ上流へ向かって折り返し、トランジションを通って周回を重ねる4キロ×5周の20キロ。ここも日陰がいっさいなく、最高気温は35℃で河川敷の照り返しもある体に悪い条件。それでも1周目は24分50秒でまとめる。これならと思ったのだが、調子が良かったのはここまで。あまりの暑さに失速、2周目から歩きがまじるようになる。水は豊富にあり、かぶり水やシャワーもあったが、すぐ乾いてしまうし、長い折り返しのところに何もない。大井川港なら氷がふんだんにあるんだがなあと思いながらたらたら進む。楽しみにしていた氷入りのコーラもなくなっていた。それでも3周目までは、バイクのときから声をかけてくださっていた60代のトリップメンバーと何度もハイタッチやエールの交換をしたりする余裕があった。異変を感じたのは4周目。熱中症の症状ではないのだが、どうも腰に余力がない。走ると前へつんのめって倒れてしまいそうだ。スイムとバイクで酷使したもともと弱い腰が悲鳴をあげはじめたのだ。コースはますます暑くて地獄のよう。何度も水をかぶり、たくさん飲んでとにかく最終周へ。ここは7時間半制限だから、残りをすべて歩いても完走できる。ただし、残り4キロを歩くのもどうかという体調になってきた。いつ倒れてもおかしくない。スタッフからはしきりに気遣う声が飛ぶ。ここまで来て止められたら悔いが残るから、カラ元気で「大丈夫です」と答える。最後のエイドにたどりつき、ゴールまであと500m。これはいままでで最も長い500mだった。会場に入ったら、パイプの柵を頼りに前へ進む。最後の直線に入ったが、それさえ進まず止まってしまった。「制限時間にはまだ12分ほどあります。数分休んでも大丈夫です」MCがしきりに声をかけてくれる。結局、3回止まった。最後だけは走ろうと思い、残り20メートルは走ってゴール……したものの、腰に余力がないものだから前のめりにべたっと倒れてしまう。すぐ車椅子が用意されて控え室に運ばれる。おまえは川内優輝か。ブービーながら辛くも完走し、少し休んでからサービスセンターに戻って着替え。コーラを飲んだらやっと普通に歩けるようになった。トランジションはすでに撤収されており、クレヨン号だけわびしく網際に立てかけられていた。スタッフに礼を言って会場を後にしたが、帰るまでがトライアスロン、ここからがまた長い。先にパッキングしてコミュニティバスの最終便で石津駅へ向かうことも考えていたのだが、あまりにも遅すぎてもう出たあとだ。立ちゴケしないようにランニングシューズでゆっくりと歩道を漕ぎ、面倒なところは押して歩く。途中の二軒のコンビニでアイスとソフトクリームを食す。石津駅でパッキングしたのだが、今回は不出来。名古屋からは小田原停車のひかりに乗る。17時台のひかりの指定席を取ったのだが、19時台の自由席で帰ることに。デッキに輪行袋をくくりつけ、その横に座ってレースレポートを書く。一駅だからこれでいい。東海道線に乗り換え、茅ヶ崎からタクシーで帰宅。長い一日だった。
帰宅したら、もうリザルトが発表されていた。
出走407人中完走373人。うち372位。
スイム2キロ1.03.45 387位(目標は55分だったのだが)
バイク80キロ3.23.22 381位(これはまあ想定通り)
ラン20キロ2.53.12 365位
大誤算だったランの終盤からしきりに考えていたのだが、ミドルはもうこれ一回でやめるつもり。セントレアも視野には入っていたのだが、参加費が高すぎるしアイアンマンにとくにこだわりもない。むしろ田舎の大会のほうに出たい。台風で一度中止になったサンライズイワタは制限時間が長良川より厳しいから、今日の出来なら難しいだろう。逆に、スプリント以下の大会に出たことがないので、来年はそちらのほうを開拓する予定。村上春樹さんはオリンピック・ディスタンスまでしか経験がないから、専業作家でミドルを完走したのはおそらく私が初めて。一度完走できたから、思い残すことはありません。今日は本当に執念の完走だった。